心が貧しくなる無力感
無力感というむなしさ
心が貧しくなるとは?
心が貧しくなるという気持ち
自分のしていることを楽しめない
セリグマンは3つめに無力感をあげています。3つとはhelpless hopeless powerless であすが、その最後の powerless です。ある事態に無力感を持つかどうかは、事態そのものと同じようにその人の心の問題です。
大きなことをしている人だから 無力感 がないという訳ではありません。小さなことをしている人だから無力感を持っているという訳ではありません。
その人が、自分のしていることを楽しんでしているかどうかです。すぐに無力感を持ってしまう人は心の貯金のない人です。真の充足感を体験していない人です。心の貯金は生きるエネルギーです。
河が蛇行しているから魚がそこに来ると聞いたことがあります。河が直線だと魚は来ないというものです。
人生のさまざまな体験をしてそれを肥やしにして生きている人は心の豊かな人です。心の中に魚が棲んでいる人であるといえるでしょう。
心の豊かな人は強い
ある有名大学の総長の話です。退任後に、その大学のある学部の「夜間の授業」を持っていました。
夜間の授業は聴くほうもするほうもエネルギーが必要です。昼の授業を終わって大学の食堂で1人で夕食を食べてそれからまた授業に行くのは昼の授業よりも辛いものです。
その大学の総長までした老教授には、夜間の授業は辛いのは言うまでもありません。私はその学部はもう少し過去の功績と年齢を考えて若い先生に任せるべきだと思っていましたが、その元総長は、コニコして不満な気配がないのです。それを見てますます私はその先生を尊敬しました。
その先生が有名大学を定年退職されて地方の大学の総長になられました。そしてそこでの話が「朝日新聞」の紙面に大きく掲載されたことがありました。
ゼミをとる学生の一人が高齢者です。それを熱心に教える先生の姿が新聞に掲載されました。自宅から2時間をかけてその先生はそのゼミに行きます。
おそらく先生は自分の中で自分がすることを楽しんでいるのでしょう。だから元気なのです。これが心の貯金のある人ということです。これが心の豊かな人です。
心の貯金のない人、真の充足感を体験していない人は、人から誉められることが生きがいで、こんなことをしたら人はどう思うだろうと心配します。そして生きることに疲れていくのです。
この記事が出た時に、「この強さがほしい」と言った人と、「笑っちゃいますね」と言った人がいます。
「笑っちゃいますね」と言った人は心の貧しい人でしょう。社会的に苦しくなるとノイローゼになる人です。
「この強さがほしい」と言った人は真の充足感を体験して生きてきた人です。少なくとも「真の充足感とは何か」を知っている人でもあります
これからは高齢者がいかに生きるかが問題の時代です。総長までした大学で、夜にも一教授として「ニコニコ」しながら講義ができる強さが、高齢を元気に生きるには必要なのです。
心の中に自分の城をつくる
ある大学で「飛ぶ鳥を落とす」勢いの教授がいました。ところがしばらくするとその教授は、後輩から役職の偉さで抜かれていきました。自分のほうが偉いと思っていたら、どんどん歳の若い教授に抜かれていってしまったのです。
そしてその教授はうつ病になってしまいました。もしかすると、いま生きることに疲れたあなたは、この教授と同じ心境かもしれません。いま、「抜かれた」と書きましたが、じつは抜かれたのではないのです。それは社会的に抜かれたということで心理的には別の話です。そのうつ病になった教授は、心の中に「自分の城」を持っていなかったのでしょう
いま生きることに疲れたあなたも、「自分の城」を心の中に持っていなかったのではないでしょうか。だから会社にいて、時に自分の居場所がなくなってしまうのです。
会社と同じように大学にも行政上の役職があります。教育・研究だけが大学ではなく、教務主任とか学部長とか、研究所の所長とか、何々委員長とか、参与とか、理事とか、総長とか、色々な役職が大学には存在します。
「追い抜かれた」と感じてうつ病になった教授にも、学内で自分の位置はあったのです。自分の位置とは、学内での役職としてのポジションという意味ではありません。一教授として教育・研究をしていられるという意味です。彼がそこにいようとしなかっただけです。
彼も「自分の城」を持とうとすれば持っていられたのです。彼は自分は何をすればいいのかを考えないで、役職に目を奪われてしまったのです。そして社会の中で自分の位置を失ってしまったのです。
心の中に「自分の城」を持っていれば、学内でどのような立場に立たされても、先の総長のようにニコニコして自分のすることをしていられるのです。
会社だろうが、大学だろうが、ノイローゼにならない人は、それぞれ「自分の城」を心の中で持っている。心の中に「自分の城」を持っているから、社会の中で自分の位置が分かります。
このうつ病になった教授は、「自分の城」を心の中に持っていないから、皆と同じ城にいると思っていたのです。だから「追い抜かれた」と感じるのは無理もありません。
ウサギとカメがいます。ウサギが城をつくろうと道をそれて家をつくりました。自分が休む場所をつくりました。その間にカメが抜いて行きました。しかしこれは抜かれたのではありません。
生きることに疲れたあなたは、いま休んでいいでしょう。いまあなたが休んでいるのは、「自分の城」を心の中につくつているのです。
自分の居場所を見つける
どこにいても自分の居場所を見つけられる人と、どこにいても自分の居場所を見つけられない人とがいます。うつ病者はなかなか自分の居場所を見つけられないのです。
ある中学生。学校で色々な役割をつくつてそれを生徒に割り当てました。その中で、駅の掃除をするという役割は誰も希望者がいませんでした。
その子はくじに外れて駅の掃除に回りました。その子は駅の掃除が第一希望ではありませんでした。しかしやってみると面白かったのです。そしてそれが楽しくなりました。
こういう子はどこにいても自分の居場所をすぐにつくることができます。こういう子と違って、うつ病者は、なかなかすぐに自分の居場所をつくれないのです。
すぐに「自分の居場所」をつくれる人はうつ病にはならならないでしょう。さらに「自分の城」を心の中に持っている人は、「自分はどうなつてもやっていける」と思えます。だから変化を恐れません。しかし、その自信がなければ変化は怖いものになります。うつ病者にはその自信がないから変化を恐れるのです。